現地視察の旅

Ⅰ.現地視察の旅の歴史

「現地視察の旅」をほぼ毎年1度、宮城県出身の隊員の活動現場を見てみよう、といった感じで、これまで20回の歴史を積み重ねてきました。2011年は東日本大震災の影響で中止されましたが、2012年にはモロッコ、2013年にはカンボジア、2014年にはウズベキスタン、2016年にはボリビアを訪問しました。

ウズベキスタン視察の旅

2014年9月15日から22日まで。

「宮城県青年海外協力隊を支援する会」第19回「2014年の視察の旅」は支援する会25周年を記念、初の中央アジアとなるウズベキスタン共和国へ、鶴見俊雄常任理事を団長として、平成26年9月15日(月)から22日(月)まで6名の会員で実施しました。参加会員は鶴見団長、千葉大健、菊地喜正、千賀七生、大沼弘子、富樫の6会員。

ルートは、仙台~(約2時間30分)仁川~(約7時間30分)~タシケント(ウズベキスタン首都)、移動時間を含めて約13時間を要しました。日本、ウズベキスタンの時差は-4時間、7泊8日の旅でした。

ウズベキスタン共和国に派遣中の宮城県出身の青年海外協力隊員(以下JV)は、PCインストラクターの高橋由香JV(任地・コーカンド)の1名、さらに首都タシケントのイスラミック大学で教鞭をとる廣瀬光正JV(コンピュータ技術)、長尾和行シニア海外ボランティア(金融システム/シニア海外ボランティアは以下SV)の職場を視察させていただきました。

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高橋由香隊員の活動所属先にて

 

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ボランティアの皆さんとの交流会

 

 

 

 

コーカンドでは高野由美JV(美術)にも同行して頂き、サマルカンドでは田原由貴JV(観光業)、岩崎透JV(日本語教師)と交流会を持たせていただきました。

高橋由香隊員(PCインストラクター)

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高野隊員(左)、高橋隊員(左から2人目)

 

 

 

9月17日(水)、タシケントから乗用車3台に分乗、標高約2,000mのカムチャック峠を越えて約320km離れたコーカンドに、5時間かけて向かいました。 高橋JVはろうあ者にPCを教えることで赴任していました。しかし、コーカンドは電力事情も不安定、それ以前にろうあ者を受け入れる社会的基盤が弱いことが課題でした。そこで、手話を覚え、社会との関わりをもつことを主体とした活動に切り替え、ろうあ者を元気にしていました。

 

高橋JVの任期は2014月9月いっぱいで、任期終了直前の訪問で、職場での「サヨナラパーティ」に参加させていただきました。パーティでは男性が料理する(イベントでは男性が料理をするのが習わしだそうです)ウズベキスタン伝統料理であるオシュ(パラフ)(日本風炒め飯)をご馳走になりました。高橋JVはこの活動を広げ、さらに再度のウズベキスタン派遣を希望しており、頼もしさを感じ取りました。

廣瀬光正隊員(コンピュータ技術)、長尾和行シニア海外ボランティア(金融システム)

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イスラミック大学では、国際協力部長(前列左から2人目)に案内していただきました。

 

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廣瀬隊員と学生たち

 

 

 

9月16日(火)、イスラミック大学で教鞭をとる廣瀬光正JV(コンピュータ技術)、長尾和行SV(金融システム)の職場を視察させていただきました。 大統領主導で設立されたイスラミック大学では、国際協力部長のkhamidbek Saidbekovich KHASAOV氏が案内してくれました。資料の散逸の防止と研究のための資料会館、国際会議の開催にも対応できる会議室、そして廣瀬隊員、長尾SVの授業を参観しました。

 

9月16日(火)、イスラミック大学で教鞭をとる廣瀬光正JV(コンピュータ技術)、長尾和行SV(金融システム)の職場を視察させていただきました。 大統領主導で設立されたイスラミック大学では、国際協力部長のkhamidbek Saidbekovich KHASAOV氏が案内してくれました。資料の散逸の防止と研究のための資料会館、国際会議の開催にも対応できる会議室、そして廣瀬隊員、長尾SVの授業を参観しました。

一般に理化学教育、数学的教育がかなり不足、語学のみは卓越しているようです。理化学教育では学費の高く、富裕層の子弟のみが学び、海外へ留学、海外に職を求め、帰国しないそうです。15世紀、世界の最先端研究(サマルカンド、ウルグ・ベク天文台)であった天文学へ進む学生はほとんど居ないそうです。廣瀬JV、長尾SVの授業を受ける学生は1クラス20人、内女子学生が5~7人程度学んでいました。

訪問国ウズベキスタン共和国について

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JICAウズベキスタン事務所にて。鹿野ウズベキスタン事務所長(前列左)、木村企画調査員(前列中央)

 

 

 

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JICAボランティア、JICA事務所スタッフを交えた交流会

 

 

 

 

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買い物客で賑わう市場。穀物、野菜、果物、食料の全てが豊富。

 

 

 

 

 

9月16日(火)JICAウズベキスタン共和国事務所を表敬訪問、鹿野正雄所長、木村亜未企画調査員(ボランティア事業担当)の2人が対応してくれました。 鹿野正雄所長からは「ウズベキスタン事情」、JICAボランティア活動状況を説明してくれました。

 

ウズベキスタンは、1991年に旧ソ連から独立した中央アジア5ヵ国の内の一つ、その中でも人口が約3千万人と一番多く、親日的な国。第二次世界大戦後、シベリアへの日本人抑留者がウズベキスタンにも移送され、首都タシケントの中心にあるナボイ劇場の他、ダム・運河・道路等のインフラ建設事業に携わり、約2万5千人と言われている抑留者の内、800人以上が、国内各地にある13ヵ所の日本人墓地に埋葬されています。抑留者の勤勉な様子は、代々語り継がれており、日本に対して尊敬や憧れの念を抱く人もいます。日本語ガイドを務めてくれたムフトロフ・ドストン氏(22歳?)もその一人で、お金をためて、日本留学を志しています。

日本は、ウズベキスタンが独立した直後の1993年から支援を開始、1999年には、旧ソ連諸国で構成するCIS(独立国家共同体)の中で初めての在外事務所を開設し、本格的な協力を行ってきたそうです。事業の重点分野は、下の3つ。 (1)経済インフラの整備(特に運輸及びエネルギー分野) (2)民間セクター発展に資する制度構築・人材育成支援 (3)農村部における所得向上及び保健医療・教育の充実 円借款プロジェクトを含む有償資金協力、草の根的な事業も含む技術協力、そして青年海外協力隊などのボランティア事業等、様々な援助形態を使いながら、より効果・効率的な協力を行えるよう努めているそうです。

ウズベキスタンから日本に留学や研修などで行く人も多く、政府関係機関の人に日本の大学院で勉強してもらう留学生支援無償(JDS)では毎年15名、JICA独自の研修事業への受入が毎年60コース以上あり、日本から戻った人達は、日本の大ファンになるそうです。

ウズベキスタンは、他の中央アジア諸国(トルクメニスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)の他に、アフガニスタンとも国境を接し、地政学的にも重要な位置を占めています。過去にタリバンによる日本人拉致問題も発生、大統領はタリバン等の侵入を防御、治安維持を重視つつ、段階的市場経済化を行うとする漸進改革主義路線を一貫して採ってきましたが、実際には改革はあまり進展していないも見えました。地下鉄、空港、政府機関、トンネル、鉄道、ダム等のインフラ設備の写真撮影は禁止です。さらに、各所で警察が監視、峠のトンネル入口、出口では銃を持った軍人が見張っていました。アフガニスタンと国境を接していることが、実感させられました。しかし、国内の治安は良く、男性であれば夜でもそれほど危険を感じることがない旅でした。

農業は主要産業の一つで、特に綿花はソビエト連邦時代より栽培面積が減じたとはいえ、小麦と並ぶ主要品目であります。綿花の収穫は綿の汚れを抑え、商品価値を維持するために、今なお大学生らによるボランテァ作業も実施されていました。折しも綿花の収穫の季節で、早朝広場で大勢の人々が荷物とともにトラックに乗込んでいる光景を見ましたが、綿摘みのために地方に出かける車と推察されました。なお、ガイドもこの綿花収穫作業に参加するそうです。

金を中心とする天然資源と天然ガス等のエネルギーも豊富ですが、効率的な利用が課題のようです。2014年後半からエネルギー輸出不調、クリミア問題からの経済制裁、加えて原油暴落のため経済不況とルーブル大暴落が進むロシア。ウズベキスタンを含む周辺国からの出稼ぎ労働者が多いロシア、母国への送金が減り、経済の悪化、政情不安がウズベキスタンや周辺国に広がらないことを祈りたいです。また、訪れたい国の一つなのだから。

宮城県青年海外協力隊を支援する会 副会長 富樫千之(現会長)